高望みをしたい若者

 通っている大学のゼミ(経営学:日本経営論)のケーススタディで、Apple(どのような企業かは語るべくもなかろう)を取り上げるので、配布資料を読むと、クリステンセン教授(クレイトン・クリステンセン - Wikipedia )の言う破壊的技術がこうして生まれるんだなぁ、高望みをした戦略が組織を育て、見えざる資源として蓄積し、更なるイノベーションを生むための組織の能力になっていくんだなぁと改めて思った。

 僕はこのように細いキリで厚い鉄板に挑み、いつかは向こう側の世界にまで穴を通す様な生き方にあこがれを持ってしまった。(自分にはどのようなキリが道具箱にあるかを考えたこともあまりないにも関わらずだ!)

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 さて、堅実で高望みをしない、現代の若者気質を表す言葉として「さとり」という言葉が用いられて久しい。でも実は、何かをやってみたい、形にしたい、飯を食いたいと思っている。しかし、普通科の高校を卒業した程度の能力で一体自分には何ができるのだろうか。専門的な資格が必要だし、そのためには勉強やお金が必要だしなぁ、と悶々とする若者は非常に多いのではなかろうか。

 さとり世代を定義付け、論理化した彼らは、そういった若者が「さとりと決めつけやがって!なにくそ!」と奮起することを願って発破をかけているのだろう。(かもしれない)

 私は高望みを平気でする、さとらない若者としてビジョンを描こう。まずは目の前の卒業論文から手を付けていこうか・・・。(せっかく書くなら、読んだ担当教授の手を震わすようなものを目指すつもりだ。)